大判例

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東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)55号 判決

原告 田中貴金属工業株式会社

右代表者代表取締役 田中淳一郎

右訴訟代理人弁護士 山根篤

同 下飯坂常世

同 海老原元彦

同 広田寿徳

同 竹内洋

同 竹内誠

被告 大蔵大臣 福田赳夫

右指定代理人検事 坂井俊雄

〈ほか三名〉

主文

一、被告が昭和四〇年一〇月二五日付蔵国有第二一四四号接収貴金属等棄却通知書を以て原告に通知した、原告の昭和三四年一〇月二九日付接収貴金属等返還請求を棄却する旨の処分は、これを取消す。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告)

主文と同旨

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、請求原因

一、事案の概要

原告は、後記の経緯で昭和二〇年八月二七日、海軍艦政本部より銀地金(純銀量四一トン二九三キロ五〇七・六一グラム)の払下げを受け、また同日、右海軍艦政本部より代物弁済として銀地金(純銀量三トン六〇八キロ三五五・六九グラム)の所有権の移転を受けたが、その後その全てを連合国軍により接収された。原告は昭和三四年法律第一三五号接収金属等の処理に関する法律(以下処理法という)に基づき、昭和三四年一〇月二九日、被告に対し右銀地金の返還を請求したところ、被告は、昭和四〇年一〇月二五日付蔵国有第二一四四号接収貴金属等棄却通知書を以て、原告の本件銀地金返還請求を棄却した旨、原告に通知した。その棄却の理由は、別紙二に記載のとおりである。

原告は、これに対し昭和四〇年一一月二二日適法な異議の申立を行ったが、被告は昭和四一年三月一六日、右異議申立の棄却決定をなし、同日、蔵国有第六六二号を以て、その決定書謄本を原告に送達した。そこで、原告は、法定の出訴期間内に本訴を提起した次第である。

二、原告の銀地金所有権の取得

原告が本件銀地金の所有権を取得した経緯は次のとおりである。

(一)  原告は、昭和一九年一二月二二日、海軍艦政本部よりその所有の銀貨鋳潰し銀地金定型塊二、二八八個および試料一袋砕屑一袋、その総量六二トン三六七キロ六二七グラム(純銀量四四トン九〇一キロ八六三・三〇グラム)の交付を受けた。この銀貨鋳潰し銀地金は原告において精製の上、海軍艦政本部関係軍需工場等より原告に対し銀接点その他の軍需用銀製品の注文のある都度これを使用して注文に応じ、当該使用量を毎月集計して海軍艦政本部より原告に払下げるとの予定で原告に交付されたものであったが、原告において精製用資材等の入手困難および工場の戦災により精製を行うことができなくなったので、その侭原告が保管して、終戦に至った。

(二)(1)  昭和二〇年八月一五日、海軍次官は、閣議決定に基づき、「戦争状態終結ニ伴フ緊急措置ノ件申進」と題する文書を以て、関係各部局長に対し、資材の払下等につき申進した。この申進は、その条項のうちに、

二、軍需生産体制ヲ速ニ国民生活安定確保並ニ民力涵養ニ転換スル為左ノ通処理ヲ進メ軍民ノ親善増進ヲ期ス

(イ)―省略―

(ロ)―省略―

(ハ)  兵器(平和的使用可能ノモノヲ含マス)以外ノ軍需品物品殊ニ燃料、自動車一ヶ月分以外ノ衣糧及薬品、木材其ノ他ノ資材ヲ陸、海、軍需省以外ノ各省地方機関又ハ民間ニ無償保転(払下)ス

(ニ)―以下省略―

と定めていた。また海軍省経理局長は、関係各部局に対し、軍需工場に交付してあった官給材料を極力当該工場に払下げ、当該工場の対政府債権と相殺し、以て政府の支払額を極力縮小するよう指示した。海軍艦政本部は前記申進の二(ハ)および右経理局長の指示に基づいて、前記原告が保管中の銀貨鋳潰し銀地金(以下本件委託銀地金という)の払下げ手続を行った。

(2) すなわち、昭和二〇年八月二一日、海軍艦政本部の担当官大束康一海軍主計大尉より、原告会社の担当官鈴木貞雄に対し、本件委託銀地金中、原告の海軍艦政本部に対する債権額に見合う純銀量(銀の公定価格によって算出する)を含有する銀地金を右債権に対する代物弁済として原告に所有権を移転し、その余の銀地金は公定価格を以て有償で原告に払下げる旨示達があり、早急に精算書を提出するよう指示されたので、原告は昭和二〇年八月二七日精算書を提出して代物弁済されるべき債権の額・内容を明らかにし、同日本件委託銀地金のうち純銀量三トン六〇八キロ三五五・六九グラムを含有する銀地金(総量五トン〇一一キロ九四二グラム)が別紙一記載の債権の代物弁済として原告に所有権を移され、またその余の純銀量四一トン二九三キロ五〇七・六一グラムを含有する銀地金(総量五七トン三五五キロ六八五グラム)は公定価格(純銀一キログラムあたり金四九円七〇銭)を以て原告に払下げられ、原告の所有となった(払下代金の支払関係については、後述する。)。

三、貴金属の移動禁止

(一)  終戦後わが国を占領した連合国は、昭和二〇年九月二二日、連合国最高司令官司令第三号関係No.5財政金属のうちNo.45金融取引の統制に関する件AG(四五年九月二二日)ESSを以て、日本政府に対し次の指令を発した。

1、日本帝国政府は予め大蔵省の許可を得たる場合の外、左に掲げるものを含む一切の取引を阻止並びに禁止するために必要な法令の修正其の他の措置を直ちに実行しなければならない。

a 金貨または銀貨

b 金銀または白金の地金または地金の形態におけるこれらのものの合金

c (省略)

d (省略)

e (省略)

2、この覚書において使用された用語の定義は付属文書Aに記載してある。

3、以上に記述した取引は予め当司令部の承認を経るのでなければ大蔵省により許可されることはないものとする。

4、以上の規定に従って修正され実施しようとする法律の写六部を最高司令官に提出しなければならない。この写は英文和文の両者を含まねばならない。

右指令により政府は、金銀白金等の取引を阻止ならびに禁止するために必要な「法令の修正」「其の他の措置」を直ちに実行することを命ぜられたのである。

(二)  右指令により命ぜられた「法令の修正」として、昭和二〇年一〇月一五日、昭和二〇年勅令第五七七号「金、銀又は白金等の取引等取締に関する件」(以下勅令という)が施行され、金銀貨幣又は金銀若は白金等の地金若は合金の本邦内に於ける得喪、滅失、原状変更又は移動を生ずべき取引又は行為は、大蔵大臣の許可を受けなければ、為すことを得ないものとされ、これに違反して為された取引は無効とする旨定められた。更に、取締勅令施行前であっても昭和二〇年九月二四日以後に為された右に該当する取引については、取締勅令施行後二月内に大蔵大臣の承認を受けないかぎり無効とする旨、併せて規定された。

四、銀地金の接収

原告は二に述べたところによって払下げを受けた銀地金および代物弁済として取得した銀地金(以下、それぞれ、本件払下銀地金、本件代物弁済銀地金と呼び、両者を併せて呼ぶ場合本件銀地金という)のうち、定型塊二〇三八個および試料一袋・砕屑一袋の銀地金は本店工場内に保管し、定型塊二五〇個の銀地金は株式会社富士銀行(当時の商号株式会社安田銀行)小舟町支店に保管を委託し同支店において金庫内に保管していたが、本店工場内保管分は昭和二〇年一〇月三〇日三一日の両日にわたり、また安田銀行小舟町支店金庫内保管分は昭和二〇年一一月一〇日、いずれも連合国軍により接収された。

五、払下代金の支払

(一)  本件払下銀地金の払下代金については、払下げのなされた昭和二〇年八月二七日当時、払下代金を銀の公定価格により算出する旨定められていたが、海軍の解体によりその徴収事務は第二復員省(後に復員庁)に引き継がれ、復員庁第二復員局は昭和二一年八月二四日才入決議書を作成し、昭和二一年九月二六日納入告知書第二〇一八号を以て、払下代金金二〇五万二、二八七円三一銭を納入すべき旨原告に告知した。

(二)  原告は、当時、本件銀地金のみならず、在庫中の資材・仕掛品・製品の一切を連合国軍により接収されていたため、操業も意に任せず、資金逼迫し困窮していたので、昭和二一年一〇月八日、本件払下銀地金の代金は、本件銀地金の接収が解除されその製品化の見込が立つまで猶予されたい旨、復員庁に願書を提出した。

(三)  復員庁は、その後昭和二二年五月一五日、右払下代金を至急払込むべき旨、原告に対し催告し、原告は同年五月二四日代金納入の延期につき再び願書を提出した。

復員庁およびその事務を引き継いだ厚生省は、その後も屡々払込みを促していたが、昭和二八年に至り、当時の所轄官庁である厚生省引揚援護局の担当官は、時効中断のため原告より納金誓約書を提出すべき旨を原告に対し申し入れた。原告は、昭和二八年二月二八日、引揚援護庁復員局第二復員局残務処理部経理課長村岡達志宛に、本件払下銀地金代金の納金誓約書を提出した(なお、納金誓約書の宛名は厚生省引揚援護局云々とすべき処、原告の誤解により右のように誤記した。)。

(四)  その後原告の業績もようやく回復に向い、資金面の都合もついたので、原告は昭和三一年五月三一日本件払下銀地金払下代金を政府に納入した。

しかるに、当時の所轄官庁である厚生省の厚生大臣官房会計課長は、本件払下銀地金の払下げは、昭和二一年八月二四日才入決議書作成の日に行われたものであるとの前提に立ち、右年月日の払下げは取締勅令に違反し無効であるから払下代金の納入を受けることはできないとして、原告の納入した払下代金を原告に対し返還する旨通知し、原告が受領拒絶したので、これを東京法務局に供託した。

六、本件銀地金返還請求棄却処分の違法・不当

≪以下事実省略≫

理由

一、(争いのない事実)

原告が、その占有にかかる本件銀地金を昭和二〇年一〇月三〇日、三一日、同年一一月一〇日の三回にわたり連合国占領軍に接収されたこと、原告は、処理法に基づき、昭和三四年一〇月二九日被告に対し、右銀地金の返還を請求したところ、被告は、昭和四〇年一〇月二五日原告の本件銀地金返還請求を棄却したこと、これに対し、原告は、同年一一月二二日適法な異議の申立を行ったが、被告は、昭和四一年三月一六日、右異議申立の棄却決定をしたこと、そこで原告は、法定の出訴期間内に本訴を提起したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、(本件の争点)

(一)  原告が本件銀地金の占有者であり処理法にいわゆる被接収者であることは当事者間に争いがないところ被告は、本件銀地金の所有者は国であるから原告は処理法第五条第五項によって返還請求権を有しない旨主張するので、本件銀地金が国の所有に属するかどうかについて判断する。

(二)  先ず、原告が、昭和一九年一二月二二日海軍艦政本部よりその所有にかかる本件銀地金の交付を受け、これを海軍艦政本部関係の軍需工場からの注文に応じ、原告において軍需用銀製品を製造するための材料として保管中、銀精製用副資材等の入手困難、および精製工場の戦災により、右保管中の銀を全然使用しないうちに終戦を迎えたこと、その後も、原告はひき続き、右銀地金を占有保管中、前記のとおり連合国占領軍に接収されたこと等の事実はいずれも、当事者間に争いがないから、原告が、本件において、海軍艦政本部より海軍主計大尉大束康一を通じて、本件銀地金を有償払下契約および代物弁済契約によってその所有権を取得したと主張する昭和二〇年八月二七日当時、本件銀地金は国がこれを所有していたということができる。

従って、原告が、占有中の本件銀地金につき昭和二〇年八月二七日頃、海軍艦政本部より有償払下契約および代物弁済契約によりその所有権を取得し、国がその所有者でなくなったことを証明しない限り、被告の本件決定には瑕疵はないということになるのである。

(三)  もっとも被告の主張(被告の本件処分の理由を含め)のなかには、被告は、原告の主張する本件銀地金についての有償払下契約の締結されたことはこれは認容するも、その時期は原告主張の日とは異なり、昭和二一年八月二四日であること、かりに右時期より早いとしても昭和二〇年九月三〇日以後であるとの主張が含まれているものと考えられる。

しかしながら、昭和二〇年一〇月一五日施行された昭和二〇年勅令第五七七号の附則によると、昭和二〇年九月二四日以後に為された銀地金等貴金属についての取引は、右勅令施行後二月内に大蔵大臣の承認を受けないかぎり無効とする旨の定めがあり、一方、原告において、本件銀地金の有償払下契約につき大蔵大臣の承認を求めたことのない点を自認しているので、結局、本件銀地金に関する原告と海軍艦政本部との有償払下契約が締結された時期が昭和二〇年八月二七日でないとしても、同年九月二三日以前であったかどうか、さらに、その際、右銀地金に関する代物弁済契約も併せて締結されたかどうかが、確定されることによって本訴請求の当否が左右されるものということになるのである。

三、(被告の乙第一号証および甲第六号証に関する評価について)

(一)  乙第一号証の才入決議書について

成立につき争いのない乙第一号証(才入決議書)には、海軍艦政本部会計部長が、昭和二一年八月二四日付を以て、海軍艦政本部が原告に対し払下げた銀地金四一トン二九三キロ五〇七・六一グラムの代金二〇五万二、二八七円三一銭を徴収すべき旨の才入決議をした記載があるから、右銀地金の払下契約締結の時期が昭和二一年八月二四日であるとの被告の主張は一応右乙第一号証により肯認し得るもののごとくである。しかしながら、被告自ら本件処分の理由中で認めているように、払下契約は才入決議に先行するのが通例となっているから、右日時に払下契約の締結がなされたとみることはできないし、また、右日時に契約の締結がなされたと解することは、次の理由によってむしろ合理的でないといわざるを得ないのである。

(1)  先ず、乙第一号証(才入決議書)の記載によると、前記才入決議は海軍艦政本部会計部長代理がこれを決裁していることが認められるが、≪証拠省略≫によると、海軍艦政本部は昭和二〇年一一月に廃庁になったこと(その後同本部の事務は厚生省第二復員局に承継されている。)が認められるから、同本部が廃庁となった後である昭和二一年八月二四日に本件払下契約の締結ないし才入決議をするということはあり得ないし、また、前記≪証拠省略≫によれば、終戦後になされた海軍艦政本部関係の契約は、当時の極度の混乱および多忙により、その大部分は書面化されなかったか、あるいは、書面化されても手続が著しく遅延していたことが認められるから、前記才入決議書は、海軍艦政本部が廃庁となる以前になしていた払下契約および才入決議を昭和二一年八月二四日になって初めて海軍艦政本部の名義で(実質は、右本部の事務を承継した厚生省第二復員局がなしたものと解される)手続上明確にするために作成したにすぎないものと解せられること。

(2)  右才入決議書の記載によると、本件銀地金払下げの単価は、計算上、一キログラム当り四九円七〇銭であることが認められるところ、右単価は、≪証拠省略≫によれば、昭和二一年八月当時の公定価格ではなく、むしろ、昭和二〇年八月当時の価格であり、昭和二一年八月二四日当時の単価は、一キログラム当り三一〇円であり、その間に相当の開きがあることが認められること。

(3)  前記のとおり、本件銀地金が連合国占領軍に接収された昭和二〇年一〇月末には、前記勅令により銀地金の取引は禁止されていた(私法上無効であるのみならず、違反行為は処罰される)から、接収後である昭和二一年八月二四日の時点で、国が原告に対し本件銀地金を払下げるということは、国自らが勅令を無視する行為を敢てするということとなり不可解であること。

(4)  ≪証拠省略≫によれば、昭和二一年三月一五日当時、すでに、原告は被告に対し、連合国占領軍に接収された貴金属の返還方を陳情していることが認められるところ、≪証拠省略≫によると、右陳情にかかる貴金属のうち、原告が軍部から保管中接収されたものは、白金一七八キロ七三八・二八〇グラムだけであり、右書面に記載されてある銀五九トン七九二キロ八二二・七〇五グラムは、すでに原告の所有又は軍以外の第三者から保管中のものとして主張されており、かつ、右銀地金には、本件払下げによる銀地金が含まれるものと推認され得ることから考えてみても、本件銀地金の払下契約が昭和二一年八月になされたと解するのは無理があること。

以上の理由により、乙第一号証記載の日時(昭和二一年八月二四日)は、才入決議がなされた日か、それとも単に才入決議書の作成された日にすぎないものとみるべく、払下契約そのものは、右日時よりも過去に遡るものというべきである。

もっとも、≪証拠省略≫によると、原告は、本訴提起前、衆議院行政監察特別委員会委員長や大蔵大臣に対し、本件銀地金につき第二復員局と払下契約をしたのは昭和二一年八月二四日である旨主張していることが認められるけれども、≪証拠省略≫によって認められるように、右原告の主張は、乙第一号証(才入決議書)を保管し、本件銀地金の払下契約締結日を右書面により前記昭和二一年八月二四日であると認めていた厚生省の係官からの教示をそのままうのみにしていたためであると解さざるを得ないのであり、従って、≪証拠省略≫によって、原告が被告の主張を容認していたものということはできないといわねばならない。

(二)  甲第六号証の商品勘定帳について

次に、被告は、本件処分の理由中において、本件払下契約が昭和二一年八月二四日より早いとすれば、甲第六号証の商品勘定帳に記載されている昭和二〇年九月三〇日であると解するほかないと述べている。

なるほど、成立につき争いのない右甲第六号証によると、原告が昭和二〇年九月三〇日に海軍艦政本部より黒銀四一トン五七七キロ七〇五・九八一グラム(純銀量)を単価キログラム当り四九円七〇銭で受けいれた旨の記載があり、一応被告の認定を裏付けるものの如くであるが、被告の右認定は、甲第六号証の記載が事実に符合することを前提にして、初めてその正当なることを主張し得るというべきである。

しかしながら、甲第六号証の記載は次の理由により、必らずしも事実そのままを摘記したものと解せられない点があるので、被告の認定もにわかに正当ということができないのである。

すなわち、

(1)  甲第六号証における当該記載事項は、≪証拠省略≫によると、原告の決算期である昭和二〇年九月三〇日現在において記帳整理されていなければならなかったところ、敗戦直後の大動乱の際であり、右同日の決算は、大蔵省の指示のもとに、翌年三月三一日の決算期に延期されることとなり、原告が、海軍艦政本部より受けいれた黒銀(もっとも前記のとおり、右黒銀は原告においてすでに委託保管中であった)の代金債務額二〇六万六、四一一円九八銭の日記帳への記入も、昭和二一年二月末か、三月初め頃に漸くなされたうえ、総勘定元帳の商品の部と未払金の部にそれぞれ転記されたこと、而して、右黒銀の受入れの日時は、昭和二〇年九月三〇日の決算期内であることを示せば足りるとの観点のもとに、同年九月三〇日の期末に一括整理し記帳したものであることが認められること

(2)  因みに右のように、現実の取引日と異なる記帳のなされた例としては右(1)の場合以外にもあること。すなわち、甲第七号証の一の記載によると、昭和二〇年九月三〇日の欄に、原告がある取引により二三万五三七円八〇銭の代金支払債務を負担した旨の記載があることが認められるところ、これは、≪証拠省略≫によれば、原告が、昭和二〇年八月二二日訴外日本金属株式会社から配給を受けた歯科用金地金五九キロ七六三グラム(純量五九キロ七五七・〇二グラム)に対する支払代金額をば翌年の三月決算前に、昭和二〇年九月三〇日に為された取引によるものとして一括整理し、記載したものであることが認められること

(3)  さらに附言すれば、前記の如く、前記勅令の施行日である昭和二〇年一〇月一五日を目前にしながら(しかも同勅令の効力は同年九月二四日に遡及するのである)、同年九月三〇日において勅令違反の故に無効であることおよび処罰の対象となること明らかな払下等の契約を国が締結するということ自体不可解であると考えられること

以上の事情を勘案すると、商品勘定帳に記載されている本件銀地金の入荷の日は、現実の払下契約のなされた日そのものを記載したというより、期中の未整理の取引を、期末において一括整理したものと認められるのであって、本件銀地金の払下契約のなされた日は、右記載の日、すなわち昭和二〇年九月三〇日よりも過去に遡るものと解することができるのである。

もっとも、その日時が、前記勅令の発効日である昭和二〇年九月二四日より以前であるかどうかは、さらに、本件に顕われた全証拠を総合検討したうえ判断されなければならないことはいうまでもない。

四、(終戦直後における海軍の軍需物資に関する処理について)

(一)  昭和二〇年八月一五日、海軍次官が、閣議決定に基づき、「戦争状態終結ニ伴フ緊急措置ノ件申進」と題する文書を以て、関係各部局長に対し、軍需資材等を民間に無償保転することにつき申進し、海軍省経理局長は、関係各部局に対し、軍需工場に交付してあった官給材料を極力当該工場に払下げ、当該工場の対政府債権と相殺し、以て政府の支払額を極力縮少するよう指示したこと、海軍艦政本部が前記海軍次官の申進および右経理局長の指示に基づいて、原告が保管中の銀地金につき払下げ手続を行ったことは、当事者間に争いがなく、さらに、

(二)  ≪証拠省略≫によると、海軍艦政本部の主脳部は、前記次官の申進および経理局長の指示を実施するについて協議した結果、民間企業に発注した契約工事はこれを中止して、工程払いとし、債権、債務関係は相殺するか、代物弁済して国の支出を軽減すること、軍需物資は有償払下げとする等の方針を決定したこと、しかも連合国軍が日本へ進駐する以前に、右方針はできる限り迅速かつ秘密裡に処理されるべき必要があったことを認めることができる。

そうすると、海軍艦政本部は、終戦前に、銀地金の加工および保管を依頼していた原告との間にも、前記終戦に伴う処理方針に則り、終戦後遅滞なく、本件銀地金につき有償払下げ、代物弁済等の契約締結をなすべき状況にあったことを推認し得るのである。

(三)  ところで、≪証拠省略≫によると、海軍主計大尉大束康一は、昭和二〇年八月二〇日、海軍艦政本部会計部長の命を受けて、横須賀海軍工廠へ出張し、同工廠に保管中の銀地金を、迅速、秘密裡に原告を含む各貴金属取扱業者に分散し、保管委託させ、右銀地金を連合国側に差押えられないよう措置を講ずるべく活動していたことを認めることができる。

そうすると、この頃すでに、海軍艦政本部では、銀地金等の貴金属を連合国側に差押えられないよう迅速、秘密裡にその措置を講じていたことを認めることができるのであるが、本件銀地金についても、当然、右時期を同じくする頃、何らかの措置が講じられたことが推測される。

ただ、本件銀地金についても、横須賀海軍工廠保管の銀地金と同様、単に、貴金属業者である原告に、委託保管させたにすぎないものかどうか問題となるが、

(1)  もし単に、本件銀地金をすでに保管事務を継続してきた原告に対し、継続保管を命じたにすぎないならば、成立につき争いのない乙第八号証の日本政府が、昭和二〇年一〇月連合軍司令部に報告した「政府及日本銀行所有金、銀、白金及外国通貨等現在高調」と題する報告書の中に、本件銀地金が記載されているべきものであるのにこの記載がない(原告が、海軍関係の貴金属として、白金一七八キロ七三八グラム三〇を保管している旨の記載はある)のは筋が通らないし、

(2)  また、その時期がいつであるかは別としても、とに角、本件銀地金について国が原告に対し、乙第一号証の才入決議書を作成し、その代金の請求をしていることは、とりもなおさず、国と原告との間に本件銀地金につき有償払下契約が成立していたことを証明するものであり、単に保管を命じたにすぎないものではないことを物語るものというべきである。

(四)  さらに、≪証拠省略≫によると、訴外村岡達志は厚生省の係官として本件銀地金の払下時期について調査した際、前記大束康一が昭和二〇年八月海軍艦政本部の一員として原告との間に本件銀払下について「下交渉」したことがあった旨話していたと供述しているけれども、右にいわゆる「下交渉」が、もはや単なる契約締結の予備交渉といったものではなく、以上述べた経緯に鑑みるとき、本件銀地金の払下に関する契約締結そのものがなされたと解するのがむしろ自然であると解せざるを得ないのである。而して、その際、契約締結の書面が交換されなかったとしても、前記のような当時の異常な社会状況からすれば何ら異とするに足りないというべきである。

五、(本件払下契約における海軍主計大尉大束康一の地位・役割について)

前記のとおり、昭和二〇年八月二〇日過ぎ頃、海軍主計大尉大束康一と原告との間に本件銀地金の払下等につき話し合いのなされたことを認めることができるのであるが、果して、右大束大尉に原告主張のような契約締結の権限があったかどうか次に検討されなければならない。

≪証拠省略≫によると、大束主計大尉は、終戦当時、海軍艦政本部会計部第二課の課員であり(昭和二〇年九月他へ転職)、銀、銅等の金属材料需給計画および配給業務を担当していた者であることが認められるから、被告の主張するとおり、大束大尉自身に海軍艦政本部関係の業務につき独自の判断により契約を締結すべき権限の与えられていなかったことはいうまでもなく、また、その権限の有無が問題とされているわけではない。

問題は、原告保管中の本件銀地金について、果して、権限ある機関において、原告主張のような有償払下げおよび代物弁済契約締結が決定されたか否か、右決定が、何時、いかなる方法により原告に伝達され、これに対し、原告が、何時、受諾したかという点にあること、而して、大束大尉は、本件契約の成立に必要な手続上、どのような役割を果したかということである。

右の観点に基づき、本件契約締結の成立過程を検討するに、

(1)  先ず、前記のとおり、終戦とともに、海軍次官が軍需物資につき無償保転することの申進をなし、これを受けて、海軍省経理局長が、関係部局に対し、海軍と民間企業との間の債権・債務関係の整理上、相殺、代物弁済、軍需物資の有償払下げを促進すべき旨指示したことは当事者間に争いのないところ、この事実による限り、海軍の最高責任者において、当然、民間企業の管理にかかる海軍の銀地金について、民間企業と海軍(ひいては海軍艦政本部)との間に代物弁済および有償払下げを行うことの意思決定がなされていたことはこれを否定できないし、海軍経理局長は、右払下げ等の契約締結についてどの企業と、如何なる契約を締結するかについての具体的な決定は、これを海軍艦政本部会計部長に委任したものと解することができる。

(2)  さらに、≪証拠省略≫によると、海軍艦政本部においては、右経理局長の指示を具体的に実施すべく、会計部長、物品会計官吏等は右局長の指示に関する具体策を協議し、横須賀海軍工廠における銀地金の処理と共に、原告に対しては、対海軍艦政本部に対する債権を原告保管中の本件銀地金を以て代物弁済すること、および、その余の銀地金については原告に有償払下げをすることに決定し、昭和二〇年八月二〇日頃、その旨、大束主計大尉をして原告に示達せしめたこと、右示達後数日してから、原告は、海軍艦政本部との債権債務に関する計算の明細書を右大束大尉に手交し、右示達を受諾する旨意思表示したことを認めることができる。

(3)  本件銀地金に関する海軍艦政本部と原告との取引は、以上のような経緯のもとになされたものであって、被告が主張するように、契約締結権限が経理局長にのみあり、海軍艦政本部の会計部員にその権限が委譲されたことはないというのは、海軍艦政本部が健在であった時期において、同本部が通常行う業務についていえることであって、昭和二〇年八月下旬当時海軍全体の解体および連合軍の進駐を目前に控えているという異常事態下において、前記のような海軍次官の申進が可及的速やかに実施されるべき要請の前にあっては、海軍の物資を具体的にどの会社に払下げ、どのように、債権債務関係を決済すべきかについて決定すべき権限は、前記のとおり、経理局長から海軍艦政本部会計部長に当然委譲されてあったものと解するのが相当である。

さらに、右の関係からすると、前記のような職務を遂行した大束主計大尉の地位は、海軍艦政本部の決定(本件銀地金を原告に有償払下げすることおよび原告に対する海軍艦政本部の債務を本件銀地金により代物弁済すること)を会計部長の命を受けて原告に伝達した機関であり、かつ、原告の海軍艦政本部に対する同本部の前記示達を受諾する旨の意思表示を受領する機関でもあったということができるのである。

以上のような次第で、前記四、以下において判断した諸事情と、≪証拠省略≫を総合すれば、昭和二〇年八月二七日なされた海軍艦政本部と原告との間の契約により、海軍は、原告に対して負担する別紙第一の内容の金銭債務を、原告が保管中の本件銀地金を公定価格による純銀換算量を以て代物弁済する、また海軍の右債務弁済後の残量純銀換算量も公定価格(すなわち二〇五万二、二八七円三一銭)にて原告に有償払下げすることがとりきめられたこと、および、右約旨により、原告保管にかかる本件銀地金四四トン九〇一キロ八六三・三〇グラムのうち、代物弁済されるべき純銀量は、三トン六〇八キロ三五五・六九グラムであり、有償払下げの純銀量は四一トン二九三キロ五〇七・六一グラムとなることをそれぞれ認めることができるのである。

而して、原告が本件払下銀地金の代金につき、被告から支払猶予を認められていたので、昭和三一年五月三一日になり漸く右代金を納入したこと、被告が、右払下契約が前記勅令に違反し、無効であるとの理由で原告に右金員を返還しようとしたところ、原告がその受領を拒絶したため、被告において右金員を東京法務局に供託したことは当事者間に争いのないところである。

六、(その他の若干の問題)

(一)  本件銀地金に関する払下契約等が、前記取締勅令の発効日たる昭和二〇年九月二四日よりも以前に締結されたことについては、以上述べたとおりであるが、この点につきなお次のような理由が附加されるのである。先ず、被告の主張するように、甲第六号証(商品勘定帳)の記載のとおり本件払下契約のなされた日が同年九月三〇日であったとすれば、当然、右勅令により、大蔵大臣に対し、右取引についての許可申請をすべかりしところ、右申請をした形跡は何ら認められないところである。ところが、≪証拠省略≫によると、原告は、右勅令の発効日たる昭和二〇年九月二四日以後同勅令の公布日である同年一〇月一五日までの間になした取引、すなわち、同年九月二六日訴外新庄通良に対し金地金四〇グラムを売却した件、同年一〇月四日訴外鐘淵通信工業株式会社に対し銀地金二トン四二〇キロ五七五・八〇グラムを売却した件は、いずれも許可の申請をなし、前者については承認されたが、後者については承認されなかったことがそれぞれ認められるのである。本件銀地金の取引が、同年九月三〇日になされたとすれば、右二件と同様、許可の申請がなされた筈であるがそのような形跡は全くない。

また、本件銀地金の払下代金の単価は、前記のとおり、キログラム当り四九円七〇銭ということになっているが、右単価は、≪証拠省略≫によれば、昭和二〇年八月当時のものと認められるのであり、被告主張の時期(昭和二一年八月二四日)における単価(キログラム当り三一〇円)とは明らかに一致しない。もっともこの点につき、被告は、昭和一八年四月五日付の海軍省経理局通牒によると、不用物品を売払いするときの価格は、公定価格以下でも何ら差支えないことになっていた旨主張し、≪証拠省略≫によると、右主張にそう内部規定の存在することはこれを認めることができる。しかしながら、本件銀地金の払下げの経緯は、前示認定のとおりであって、単に、軍部の不用品の売払いと同視することはできないというべきであり、しかも、価格についても、右のように格段の差があるときには、右通牒によってももはや本件取引における価格を正当化すべき根拠とはなり得ないというべきである。

(二)(1)  次に、前記才入決議書(乙第一号証)記載の本件払下げ銀地金の数量と前記商品勘定帳(甲第六号証)記載の銀地金受入数量との間に差異があり、後者より二八四キロ一一八・三二七グラム多いことが認められる。

ところで、前記のとおり、昭和二〇年八月当時の銀の公定価格はキログラム当り四九円七〇銭であるから、右単価による右二八四キロ一一八・三二グラムの価格は一万四、一二四円六七銭となり、≪証拠省略≫によると、右金額は、原告が海軍艦政本部から依頼を受けて、昭和二〇年八月一九日頃第一海軍燃料廠に納入した白金大型電極板の加工料金に相当することを認めることができるのである。そうだとすると、原告は、原告と海軍艦政本部との間の本件銀地金に関する払下げならびに代物弁済についての前記契約の趣旨からすれば、右電極板の加工料金一万四、一二四円六七銭に相当する銀地金の二八四キロ一一八グラム三二七は、本来代物弁済として取得すべきもので、それに伴い、右代物弁済さるべき数量相当の銀地金は、有償払下げの銀地金の数量から差引かるべきものというべきところ、≪証拠省略≫によると、原告会社は、海軍艦政本部に対し代物弁済されるべき債権額の明細表を提出する際、不注意にも前記電極板の加工料債権を落したため、その分だけ代物弁済されるべき銀地金の数量が減少するとともに、有償払下げされるべき数量がそれだけ増加したことになり、従って、原告方での有償払下げ銀地金の受入れ数量は、甲第六号証の商品勘定帳記載のとおり、右代物弁済されるべき数量を含めた四一トン五七七キロ九八一グラムとなったのに対し、海軍艦政本部が才入決議した有償払下げの数量は、乙第一号証の才入決議書記載のとおり、右代物弁済されるべき数量を差ひいた四一トン二九三キロ五〇七グラム〇六一とくい違うこととなったものであるが、そのくい違いの原因は、前記のとおり、原告が、電極板の加工料債権を請求しなかったことから起ったことで、これに対し、海軍艦政本部の側では、原告の請求をまつまでもなく、正当にも、電極板加工料金を銀地金にて代物弁済したうえ、その分を差引いた数量の銀地金を有償払下げとして、才入決議したことを認めることができるのである。

以上の点からみても、本件銀地金の有償払下について、その数量のとり決めは、原告の海軍に対する債権額、ひいては右債権に対する代物弁済による本件銀地金の数量の決定と相関連しているもの(右加工料債権を銀地金の数量に換算する際も、昭和二〇年八月当時の銀の単価によって計算している)ということができるのであって、原告の海軍に対する前記電極板の加工料債権が昭和二〇月八月一九日頃に確定していたということも、本件銀地金の有償払下げおよび代物弁済の契約締結時期が原告主張のとおりであることを支持する理由になるともいい得るのである。

(2)  もっとも、この点について、被告は、≪証拠省略≫によると、原告の主張する右電極板の加工料債権金一万四、一二四円六七銭の確定したのは、昭和二一年八月一一日であり、右債権が確定したうえで、代物弁済の目的である本件銀地金の数量が決定され、さらに有償払下契約が締結されたものであると主張するのである。

甲第七号証の二(原告の総勘定元帳)には、昭和二一年八月一一日の欄に、前記白金電極板の加工料金一万四、一二四円六七銭の計上された記載があり、被告の主張は一応これを肯認することができる。

しかしながら、右記載は、前記認定のとおり、昭和二〇年九月三〇日の決算における計上洩れを、翌年の三月決算の際に計算の誤りを訂正したものであり、現実の取引事実を示すものといえないところがあるばかりでなく、白金電極板の加工料代金自体、債権の発生時期は、≪証拠省略≫によると、海軍に納入する物件についてはすべて終戦と同時にいわゆる「工程払い」とすることに決定されたことが認められるし、また海軍において軍需関係品が終戦後あらたに発注されるということはあり得ないから、右白金電極板の加工も軍需関係品である以上、大束主計大尉が前記のとおり、海軍艦政本部会計部長の決定を原告に対し示達した昭和二〇年八月二〇日頃にはすでに、右電極板加工料債権も確定していたものとみるのが相当である。

一方、乙第一〇号証(原告作成衆議院行政監察特別委員長宛「資料提出御報告の件」と題する書面)は、原告が衆議院行政監察特別委員会からの本件銀地金の払下げ等についての照会に対する回答であるが、右回答が、前記甲第七号証の二をそのまま写したにすぎないことは、記載内容自体から窺われるし、また、原告の右特別委員会への回答は、すでに述べたとおり、厚生省の係官の説明を踏襲したにすぎないことが窺われるから、結局、被告の主張は理由がないものというべきである。

(三)  被告は、原告の本件銀地金の払下げ量についての主張が、首尾一貫せず、訴状における記載が変更される(すなわち、初めは、本件有償払下げにかかる銀地金の数量が、純銀量四一トン二九三キロ五〇七・六一グラムであると主張しながら、後に、右有償払下げの対象となった銀地金の数量は、原告が海軍から保管委託を受けていた銀地金の全部である純銀量四四トン九〇一キロ八六三・三〇グラムと主張している)のは不当であると主張する。

しかし、これは、以上認定の経過にてらし、被告が原告の主張を誤解したものというべきである。すなわち、原告が、「原告保管にかかる銀地金六二トン三六七キロ(純銀量四四トン九〇一キロ八六三・三〇グラム)を原告において公定価格で払下げ」を受けたと主張しているのは、海軍艦政本部が原告に対し、右銀地金を原告の海軍に対する債権の代物弁済として提供し、その余の銀地金は有償払下とするという二個の取引を全体として「払下げる」と称したにすぎないものと考えられるからである。

七、結論

以上の次第で、原告は、昭和二〇年八月二七日頃、本件銀地金につき、それぞれ海軍との間に代物弁済ならびに有償払下契約により、その所有権を取得したものと認められるのであって、本件銀地金の所有者が国であることを前提として原告の処理法に基づく本件銀地金の返還請求を棄却した被告の本件処分は、違法であり取消しを免れない。

よって、被告の本件処分の取消しを求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 緒方節郎 裁判官 小木曽競 山下薫)

〈以下省略〉

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